堀池遺跡の木炭槨木棺墓

JR二日市駅周辺に広がる堀池遺跡は、4度の調査が行われ、弥生時代を中心とする集落遺跡であると考えられてきましたが、平成24年6月から実施した第5次発掘調査では、古代のざいに関連する遺構が見つかりました。

 調査地は、大宰府条坊南端からさらに南へ500mほど離れた郭外です。近年では、条坊の外側においても古代大宰府に関連する遺構の発見がつづいています。

 調査では、平安時代(9世紀中頃から後半まで)と考えられる4基の墓が発見されました。分布状況は、集団墓のように群集しているという風でもなく、単独の墓が一定の範囲を墓域として占有していた様子が想定されます。

 このうちの1基、調査区の北端でみつかった墓は、特に「木炭槨木棺墓」と呼ばれている特殊なもので、墓坑内の木棺(鉄釘の位置より長さ1.8メートル、幅0.4メートルと推定。深さは棺の崩壊により不明)の外周に、一回り大きな長さ2.0メートル、幅0.8メートルの箱状区画(木槨もしくは箱状の蓋)を設けて二重構造としています。その周りに吸湿用と推測される大量の木炭(使用された木炭量は約0.5立方メートルと推測)を詰め込んで木炭槨により主体部を保護しています。

 さらに、墓の周囲は直径約6メートルの円形周溝と、その外側にある一辺約17メートルの方形周溝とに囲まれ、外界から区画されています。平安時代の墓としては極めて大規模なもので、埋没状況から封土(盛り土)があった可能性もあります。

木炭槨木棺墓のイメージ図1木炭槨木棺墓のイメージ図2

 全国的にみると、木炭槨木棺墓は平安時代前期にその中心年代があるようです。約90%は畿内で見つかっていますが、新潟県や福岡県(大宰府)でもそれぞれ1基の出土例があります。鏡や石帯、水晶玉や真珠等の玉類、漆箱など、格式の高い希少遺物が出土する傾向にあります。

 今のところ被葬者像は不明ですが、墓坑内南西隅から越州窯系青磁が出土したり、北東隅から漆状物質の被膜片(漆器か)が見つかったりするなど、古代都市大宰府の運営に直接的に関与した官人であることは疑いなく、興味がつきません。

墓内部の写真
墓内部
堀池遺跡第5次発掘調査地点上空写真 
堀池遺跡第5次発掘調査地点(上空から 上が北)

筑紫野市ホームページより